愛とか、好きとか、

考えたことの記録

人を好きになる

 ここに文章を書きに来たということは、恋がうまくいかなかった証拠。
 でも今回は早くて良かった。うん、そうだよきっと。

 このところ、気になる人がいた。
 毎日必ず会う人。だけど話はほとんどしたことがなくて、その人を含めた4人でランチをしたことがあるくらい。
 この4月からだから、もう半年以上、平日は毎日その人を「目撃」してた。気になりだしたのはこの10月くらいからで、よく言われる話だけれども、やっぱり、単純接触を重ねることは強いな、、と思う。考えてみれば、僕は単純接触を重ねることで人を好きになるところがあるみたいで、前々回(同じ組織の人)も、前回(同じ組織の人)も、今回(同じ組織の人)もそうなんだなぁ。自分ではこの傾向について、破局後にきまずくなるし、あまりよくないなぁと思っているのだけど、気持ちがそうなってしまうから難しい。でも、こんな長い時間かけないと好きになれないなんて、それだけで恋人作りづらいもんね。

 そう、今回の話。今回は、相手の方がご結婚されていることが発覚したのです。知らなかった。全然知らなかった。会話をする中でわかったのだけど、本当にびっくりした。でもそうなんだよなぁ。自分は今年で32歳で、できたら同じ世代の方が良いなと思っているから、そうなると、こういうことは起こりうるのよね。うん。ショックだったけど、それが良いとか悪いとかではなくて、単純に生きてるステージが違いすぎて、なんかこう、何も言葉はありません。

 この話から、最近した友達の話を思い出す。
 元カノから連絡が来て、その元カノは人生で一番くらいに好きだったのだけど、今は離婚して小さな子どもと一緒に暮らしている。久しぶりに会おうとなって、会ってみたらすごく楽しかった。次回会う時(自分とその友達)には父親になってるかもしれんわ。というもの。
 うん、そうなんだよな。我々はこういうステージに、いまいるんだな。

 人を好きになるってなんなんでしょうか?
 最近どんどんわからなくなるなぁ。僕は好きになったら好きだよ派なのですが、もうよくわからない。いや、わかってる。わかってるんだけど、遠い昔に感じたあの強烈な『好き』はきっともう味わうことはできないし、むしろ、もうしんどいからしたくない。そんなこと言ってしちゃうのかもしれないけど。でもそうだとすると、ほんのりあたたかな『好き』を目指すべきなのかもしれないけれど、こんなこと考えてる時点で将来お付き合いする方に失礼だと思うけど、たぶん、その方のこともちゃんと『好き』になってお付き合いするのだろうから、問題ないのかな、なんて考えてると、あれ?好きってなんだっけ?とかそんなそもそも論になる。

 でも、あれだな、人を好きになるっていう部分を議論していれば良いと思ってたちょっと前までは。だけど今は、それは少し独りよがりなものなのかもしれないなぁとも思う。
 前々回と前回か、綺麗に振られて、人を好きになるっていうことも大事だけど、その人とどんな関係を築いていくかという部分にフォーカスしなくてはならないことに気がついた。むかし7年付き合った人がいて、その方と7年続いたのだから、それはあまり考えなくとも良い関係を築いていけるだろうというような謎の自信をもって生きていたように思う。でも違った。
 人と人の関係なのだから、当たり前の話なのだけど、これを忘れては絶対にいけないなと思う。忘れるなよ自分。どんな関係を築き、どんな風に生きるか、そんなことも考えなくちゃいけない。32歳。

 2週間くらい前かな、ご結婚されていることが発覚してから、初めてTinderで人と会ってみた。(ペアーズ、omiai、with等は使ったことある。)
 友達に話しても、Tinderはいる層がやばいぞって言うからなんか売られそうになったら帰ってこようと思って行ってきた。結果として、楽しくおしゃべりして帰って来た。なんだろうなー、でもアプリで会っても好きになれないんですよね。。自分がそんなこと言える立場でないことは百も承知ではあるのですが、お互いどこの誰かもわからない状態で会って、その人がどんな風にふるまうか、佇まいとか、そんな色々なことが見えないから、なんかこう、難しいんですよね、自分としては。

 なんだろうなー、なんなんでしょうね。

 でも一つ言えることはあるのかもしれない。
 僕は人と話をすることが好きだということ。
 だから、しばらくは色んな人と会って、色んな話をしていきたいなぁ。

自分は「なんか違う」やつだった

最近、自分の近しい友人から相談を受けてた。
一人は今にも始まりそうな恋愛、一人はこじれた恋愛の後片付け。
自分にとってその二人はとても大切な友人で、僕は二人の話を聞いた。
自分は特に何もしていない。話を聞いて、二人の気持ちを肯定した。ただそれだけ。そして、一人の付き合いが始まり、一人の恋愛は無事片付いた。
良かった。本当に。
 
翻って自分の話。
5月のゴールデンウィーク頃から少し良いなと思っている人がいた。2週間に1回ほどのペースで話をしていて、良いなとは思うけど、遠距離だし、自分はいま大学院へ通っていて心の余裕もないし、この関係はどうなっていくんだろうなぁと思いながらも、話していて楽しいから関係を続けてた。
それが先日、話をしていて、唐突に相手が「これで」というような感じで話を切り上げてしまった。お酒を飲みながらだったこともあって思い出すことができないのだけど(お酒のせいにして思い出せない時点でだめだな。。)、話をしていて、自分の発言を受けて相手が「えっ」とフリーズした瞬間があったことを覚えてる。違和感のある発言・言動だったのだと思う。確か、相手の方の体験談を笑うようなことをしてしまったような気がする。。
はぁ、ここまで書いてきて自分の愚かさ加減が嫌になるなぁ。でも、きっと、相手の方からしたら笑われたくないことを僕に笑われて、「なんか違う」と思ったに違いないと思う。きっとそうだろうなぁ。うん。
 
昔、7年付き合った恋人がいた。
その恋人と7年もお付き合いを続けられたということは、自分はきちんとした関係性を異性と築いていくことのできる人間なのだと思ってた。
でも、どうやら違うみたい。7年ものあいだ関係性を続けられたのは相手の方が僕のだめな部分に対しておおらかだったからなのだと思う。
これは、今回を含めた直近3回の恋愛を分析した時にわかったこと。そういうことなんだろうな。
なんかでも、友達とは良い関係を築けてる自信はあるんだよね。。
これは自分が相手に好意を持つと、少し自分がおかしくなってしまうこと、無意識のうちに好きな人を自分と同化させようとして、自分はされても大丈夫だと思ってることを相手にも適用してしまうことに原因があるように思う。
 
7年付き合った方がおおらかだったと思うという点も、違う言い方をすれば、感性が似通っていたということもできるわけなんだよね。
例えば、なんだろうな、失敗を笑い飛ばして欲しい人がいれば、失敗を一緒に悲しんで欲しい人がいる。そういう違い。だから、感性が違う。それが早い段階でわかったのなら良かった。そんな風に言うこともできるんだな。
今回の人についても、自分を繕っても仕方がないという気持ちがあって、話している時に自分らしくあろうと思って会話をしてた。それで「なんか違う」と思われるのなら仕方ないな。うん。そうだよきっと。
 
冒頭の友達の相談に戻ると、相談されたことには大所高所から適切なことを言うことができるのに、僕は、ことに、自分のことになると途端にどう振舞ったら良いのかわからなくなってしまうことがある。笑ってはいけいないことを笑ってしまうことがある。そして、後からあの時なんで笑ってしまったのだろうと落ち込むことになる。今回も落ち込んだなぁ。もう好きになりかけていて、連絡が来なくなって、あぁ好きになっていたのだなと気がついたから。
でも、合わなかったのです。そう、合わなかった。素敵な人だったから、うまくいったら良かったとは思うけど、うまくはいかなかった。それが早くわかって良かった。うん。そう。
 
でもでも、笑ってはいけないものがある。笑われたくない人がいる。そういうことを心にしっかりと留めておくことも重要で、それを反省する必要もある。後は、親しき仲にも礼儀あり、今あることは当たり前じゃない、全てに感謝すること、相手のことを笑うことは相手をばかにする態度にほかならないのであって、冗談であってもそのような態度はとってはいけない、ということを意識しておく必要がある。それも確実に真実。
 
はぁ。自分に嫌気がさします。
でもまぁ、ぎりぎりダメージは小さくて済みそうでこれで良かったような気もする。
 
意味わかんない文章になったけど、書けて良かった。ありがとう。

彼女に振られた

先日、彼女に振られた。付き合って2か月で振られた。
好きだなぁって思っていたから、連絡が減ってきた時、なかなか会う約束をしてくれなくなった時、とてもショックだったのだけど、いざ別れてみると意外とショックではなかった。
 
彼女が別れようと思った理由は、お別れの3週間くらい前に特に理由はないけどなんとなくぎくしゃくしてしまった日があって、その日をきっかけに何か違う、合わないと思ったとのこと。
普通に接してくれたら良いのに、思っていることがあったら言ってくれたら良いのに、と言われたけれど、僕はなぜだか自然に振舞うことができなかった。
別れるまでは、相手のことがすごく好きだから、自分とは釣り合わないんじゃないかと思うくらいに素敵な人だから、緊張してしまって自然に振舞うことができないのかなぁなんて思っていたけれど、別れて少し経った今、本当は好きではなくて、全然合わない二人だったからこそ、話すこともないし、取り繕った振舞いになってしまっていたんだなと気がついた。
当時の自分は好きだー!ってなっていたけれど、今思うと彼女が欲しかっただけで、その彼女とセックスをしたかっただけっていうのが一番しっくりとくる。
元々相手の好意には気が付いていて、自分から告白をしてお付き合いを始めた。だけど、何か違うと振られる。それは自分にちゃんとした気持ちがないから。多分それだけの話なんだよなぁ。その点、自分ですら気が付けていないのに、違和感に気がついて別れようと行動した彼女はすごいな。ほんとにすごい。これが冷静に言えてしまう。
ほんとはもっと色んな要素があると思うけど、ぎゅっと凝縮するとこれが真実な気がする。
 
ここまで書くと、今回の恋愛の反省点がみえてくる。(相手も同じような反省してるだろうなーとは思う。)
 
①見た目が良いなと思って付き合っても、中身が自分と合わなければうまくいかない。
②自分を取り繕ってよく見せても何の意味もなくて、自分をさらけ出して心地良い間柄でなければうまくいかない。
③自分が自然体で振舞える相手、本音で話せる人とお付き合いをしたい。
 
何度かお互いをもっと知ることのできるな話をしようと試みたこともあったけど、スルーされてしまったんだよな。そういう意味ではこちらにも何度か違和感はあった。別れようとは思わなかったけれど。
 
短い間でしたが付き合っている最中は楽しいことも多くありました。ありがとうございました。

恋愛的現在地

コロナ禍での大晦日
年末年始に実家へ帰省しないのは初めてだなって思う。実家だと紅白を見ながら過ごすことが多いけれど、今年はテレビを見る気も起きなくて、こんな文章を書き始めてしまった。
 
この2,3日、だらだらと過ごす隙間に恋愛本を読んでいた。
 
F 『20代で得た知見』
ウイ 『エンドロールのその後に~さえない僕らの恋愛に幸せな結末を』
 
僕は恋愛で迷子になっている。30歳なのにこんなはずじゃなかった、この年になって恋愛とか言っちゃって、同い年で結婚もして子供もいる人も多いのに、どうしてこうなったのか、そんなことを考えている。読んだ本には、共感するところがあったり、そうだなそういうところをちゃんと考えないといけないよなとか、そんな気持ちで読んでいた。
このブログを始めようと思ったのは、文章を書くことで自分の気持ちにきちんと向き合おうと思ったからで、そうやってきちんと考えないとこの先うまく生きていける気がしない。ここで意識して考えて、選択していくことが必要なのだと思う。
 
今日は自分の現在地を考える。
人によっては不快に感じることも書いてしまう気がします。ごめんなさい。
 
僕は恋愛経験が少ない。
中学生の付き合っているのかなんなのかよくわからない関係を除けば、お付き合いしたことのある相手は1人。ただ、その相手とは大学生の時から6年お付き合いをした。それだけの期間があれば当然結婚の話は出るし、結婚しようとプロポーズもしていて、互いの両親への挨拶も済ませていた。
そんな頃、職場の同僚を好きになってしまった。休みの日にもその方のことを考えるようになってしまっていよいよやばいと思い、一緒に働くようになって1年後にあった飲み会でたまたま席が隣になった。僕はもう自分を止められなくなってしまった。そして6年付き合った彼女に様子がおかしいのを問い詰められ、まだ何も始まっていなかった同僚の方を僕は選んだ。その方とは付き合うことすらできなかったのだけど。
最後の文章は数年前の話なのだけど、それから2年が経って、最近は職場になんとなく良いなって子がいたり(でももう、職場恋愛はしたくない。)、マッチングアプリや街コンで10人弱の人(ここ1年間くらいで会った人数)と会ってみたりしている。
 
事実として、僕は今こんなところにいて、こんなのはよくある話のような気もする。でもこれが自分の話となると、その1文1文の間にものすごくたくさんの思い出があって、なんとも言えない気持ちになるし、この短い文章の中に僕の全てがあるようにも思う。だから事実はこうだけど、自分の気持ちにフォーカスすると全く違うものが見えてくる気がする。
 
大学生の時、お付き合いをしたことがなかった僕は、格好良いと言ってくれていると噂を聞いた子と何回かお出かけをした。なんとなく自分と似ている気がして合うような気がしたので、お付き合いを申し込み、お付き合いが始まった。僕が大学から卒業する時、彼女が大学から卒業する時、何年か遠距離恋愛になることもあったけれど、別れたいと思うことも無かったし、お付き合いは6年も続くことになった。それは静かだったけれど、確かに僕は彼女のことを愛していたように思うし、こんな結果になってしまって本当に申し訳ないことをしてしまったと思っている。
同僚の方の第一印象は少し変わった人だなというものだった。でも、話し方や声、落ち着いた雰囲気から段々と気になるようになり、目で追うようになってしまった。目で追うようになってからすぐにアプローチしたわけではなくて、今数えてみると7,8か月後だったのだけど、その時にはもう自分を抑えることができないところまできてしまっていた。そしてあの飲み会。今思えばこんな風になるものも時間の問題だったのだとは思うけど、飲み会は危ないなって今になってすごく思う。
そして僕はその同僚の方を人生で一番、こんな風に自分も人を好きになれるんだと思うくらいに好きになってしまった。恋愛映画や恋愛小説の意味が初めて分かったような気がしたし、この世界に対する見方さえも変わってしまったと感じるような恋だった。僕は信じられないくらいにその方のことを好きになってしまい、相手の方も似たようなことを感じてくれていたみたいで、だからこそ、お互いに惹かれ合った。僕は彼女に愛とは何かということを教えてもらったと思っている。
でも彼女には長く付き合った彼氏がいた。彼女と彼氏は一時は別れたとのことだったけど、結局は元に戻り、僕は振られた。数か月の恋だった。振られたのは僕が未熟で、彼女を上手くケアしてあげられなかったことが大きく、そのことについては僕自身ものすごく反省し、今の自分の糧にしているのだけど、僕はものすごくひきづった。丸々2年ひきづった。本当に本当に好きだった。自分にこんな感情があるのだと、初めて知る自分をたくさん知った恋だった。
振られて本当にショックを受けたのだけど、一方で振られてほっとした自分もいたように思う。彼女とやり取りをする中で、自分が上手く相手をケアすることができないのではと思うことがあったから。簡単に言えば、自分には手に負えないかもしれないと不安だった。
 
当時の感情にフォーカスするとこんな風になる。
 
感情自体も事実なので、それ自体に対する評価とかは無いのだけど、「それではこれからどうするの?」ということが問題になる。簡単に言えば、「運命の人を待ち続けるの?」問題。
長く付き合った彼女とはものすごく好きだという場所からスタートしたわけではなかった。だからこそ、そんな人が現れた時に僕は抗うことができなくなってしまった。別れ話の時、謝りながら「結婚前で良かった」、とかそんなことを言ってしまった。
そうであるなら、運命の人を待たなくちゃいけないのか? でもそんな人が30歳の僕の前にまた現れてくれる保証なんてどこにもない。結婚はしたいと思っているし、子供も欲しい。だったらマッチングアプリとかで会った人とお付き合いをカジュアルにしてみたら良いのでは? いやでも、前回そんな風にして迷惑をかけて失敗してしまったのだし、年齢も年齢だから、次付き合う時は結婚を前提に付き合いたい。そんなことを考えているともう袋小路の何物でもない。そもそも人をまた好きになれるだろうかという問題もある。
 
めちゃくちゃ好きな人にまた会えるのか、そこが問題なのだけど、そんな人と会えたとしてお付き合いできるかわからないし、結婚までたどり着くかもわからない。それにめちゃくちゃ好きだけど、そんな気持ちを経験する中で自分には手に負えない感覚も味わった。そうであるなら、マッチングアプリとかでまずは条件から入り、ゆっくりと愛を育てていく方向性もありなのかな。でもそうなった時に、その後めちゃくちゃ好きな人に会ってしまったらということが怖い。また同じ失敗をしてしまうのではないかと。考えながら書いたら整理がつくかななんて思ったけど、やっぱわかんないわ。
 
でもどうなんだろう、順位付けするとこんな感じ。
1番:まためちゃくちゃ好きな人と出会い、その人とお付き合いをして結婚する。
2番:条件から入って、愛を育んで結婚する。(条件からめちゃくちゃ好きになるかもしれない。)
3番:めちゃくちゃ好きな人と出会ったけれど、振られる。
4番:何もしない。
 
こう考えてくると、そりゃ1番はそうなるよな。確かなことは何とも言えないけれど、少なくとも言えるのは、アプリ含め、友達の紹介や趣味、イベントには積極的に出たりして、出会いの範囲を広げることと、自分磨きみたいなことはちゃんとやっていかなくちゃいけないっていうことなのかな。
後は2番、最初はそんな気持ちでもその気持ちが大きくなる可能性もある。その可能性を感じるのであれば、お付き合いをお願いすることもありなのかな。その際には、価値観のすり合わせや対話をしっかりとしていかなくちゃいけないと思うけど。
 
ちゃんと考えてみたら何かわかるかなって思ったけど、あんまりわかんなかったかなぁ。でも、前向きに一つずつの出会いに感謝しながら人に興味を持つことをやっていきたいな。きっと何か見えてくる。

好きがわからない

まだそんなこと言ってんのかっていう感じだけれども、時々、好きがわからなくなる。
好きってなんだっけ?お付き合いってどんな風に始まるんだっけ?

時々とか言っているけれど、普段わかっているかと言うとそうでもない。ということは好きが元々わかっていないのか。そこまで考えてくると、いや違う、好きはわかっているよとも思う。ただ、心の中にあるあの思い出、あの強烈な「好き」を念頭に置いた好きを話しているがために、わからなくなっているというか、どうやったらまたあそこまで達することができるのだろうと、うじうじと考えるのだと思う。そして友達と5時間議論することになる。ひょっとするともうあの気持ちにはなれないのかもしれないし、あの気持ちとは違う形の好きを見出すことになるのかもしれない。でも僕はあの強烈な好きをもう一度体験したいとも思ってしまう。

先日、2年ぶりくらいに好きがほぼわかりかけた。いや、形にならなかった強烈な好きから解放されたとも言えるのかな。
①終わった恋を2年くらいひきずってた ← 強烈な「好き」
②職場の後輩を良いなぁと思い始める
③でも職場恋愛はもうこりごりなので、遠くから今日も可愛いなって癒されてた
④ふとした拍子に仲良くなったけど、最近彼氏ができたことを聞いた
⑤すごいショックを受ける
⑥ひきずってた恋が過去になったことに気がつく
⑦やった!!
⑧後輩のことをちょっと好きになっていたことに気がつく
⑨落ち込む
⑩ちょっとやけになってマッチングアプリをまた始める ← いまここ

終わった恋を2年ひきずった。この間、なんとか次にいこうと、(ご迷惑をおかけした方には申し訳なく思うのですが)職場やマッチングアプリで何人かの人とデートしてたりしてたのだけど、やっぱり好きがわからなかった。好きになれなかった。「好きになれそう!」と思って5,6回デートした人もいたけれど、なんとなく好きになりきれなかった。
そんな頃に後輩の子に少しずつ惹かれていった。ふとした拍子で仲良くなることができたは良いけれど、同時に最近彼氏ができたことを知った。お互いに人として好意を持っていたことがわかって嬉しかったし、もっとこの人のことを知りたいって思ったし、もっと仲良くなってみたいって思ってしまった。それは好きの一歩手前のように思う。でも彼氏ができてしまって、彼女の口から直接「彼氏のことが好きです」という言葉を聞いた。ほぼ好きになりかけてた僕はすごくショックを受けた。
そして気がついた。彼氏ができてしまったことはすごくショックだけど、あんなに好きだった前の恋はその時頭の中からどこかへ消えていて、ふと「あの恋は、あの好きはもう過去になったんだ」って思った。あの強烈な好きが過去になった。自分でもすごく驚いた。こんな風に思えるようになるんだな。

好きを考える時に真っ先に頭の中でイメージしていた好きが過去になった。ということは、今の僕には新しい好きに触れるチャンスがある。前の好きは「全身全霊をかけて相手を好きになる好き」だったけれど、今度はどんな好きに触れられるんだろうか。好きは相手がいて初めて生まれるその二人の関係だろうから、やっぱり今も僕には好きがわからない。後輩の子は残念だったけれど、(後輩の子とも仲良くなりつつ、)新しい恋、新しい好きに向けて色んな人と合って、色んな話をしていきたいな。たくさん悩んで苦しんで考えたことも無駄なんかじゃなくて、それは新しい好きのためにある。

そんな風に思えた。今はそれだけでも良いのかな。