愛とか、好きとか、

考えたことの記録

恋愛的現在地

コロナ禍での大晦日
年末年始に実家へ帰省しないのは初めてだなって思う。実家だと紅白を見ながら過ごすことが多いけれど、今年はテレビを見る気も起きなくて、こんな文章を書き始めてしまった。
 
この2,3日、だらだらと過ごす隙間に恋愛本を読んでいた。
 
F 『20代で得た知見』
ウイ 『エンドロールのその後に~さえない僕らの恋愛に幸せな結末を』
 
僕は恋愛で迷子になっている。30歳なのにこんなはずじゃなかった、この年になって恋愛とか言っちゃって、同い年で結婚もして子供もいる人も多いのに、どうしてこうなったのか、そんなことを考えている。読んだ本には、共感するところがあったり、そうだなそういうところをちゃんと考えないといけないよなとか、そんな気持ちで読んでいた。
このブログを始めようと思ったのは、文章を書くことで自分の気持ちにきちんと向き合おうと思ったからで、そうやってきちんと考えないとこの先うまく生きていける気がしない。ここで意識して考えて、選択していくことが必要なのだと思う。
 
今日は自分の現在地を考える。
人によっては不快に感じることも書いてしまう気がします。ごめんなさい。
 
僕は恋愛経験が少ない。
中学生の付き合っているのかなんなのかよくわからない関係を除けば、お付き合いしたことのある相手は1人。ただ、その相手とは大学生の時から6年お付き合いをした。それだけの期間があれば当然結婚の話は出るし、結婚しようとプロポーズもしていて、互いの両親への挨拶も済ませていた。
そんな頃、職場の同僚を好きになってしまった。休みの日にもその方のことを考えるようになってしまっていよいよやばいと思い、一緒に働くようになって1年後にあった飲み会でたまたま席が隣になった。僕はもう自分を止められなくなってしまった。そして6年付き合った彼女に様子がおかしいのを問い詰められ、まだ何も始まっていなかった同僚の方を僕は選んだ。その方とは付き合うことすらできなかったのだけど。
最後の文章は数年前の話なのだけど、それから2年が経って、最近は職場になんとなく良いなって子がいたり(でももう、職場恋愛はしたくない。)、マッチングアプリや街コンで10人弱の人(ここ1年間くらいで会った人数)と会ってみたりしている。
 
事実として、僕は今こんなところにいて、こんなのはよくある話のような気もする。でもこれが自分の話となると、その1文1文の間にものすごくたくさんの思い出があって、なんとも言えない気持ちになるし、この短い文章の中に僕の全てがあるようにも思う。だから事実はこうだけど、自分の気持ちにフォーカスすると全く違うものが見えてくる気がする。
 
大学生の時、お付き合いをしたことがなかった僕は、格好良いと言ってくれていると噂を聞いた子と何回かお出かけをした。なんとなく自分と似ている気がして合うような気がしたので、お付き合いを申し込み、お付き合いが始まった。僕が大学から卒業する時、彼女が大学から卒業する時、何年か遠距離恋愛になることもあったけれど、別れたいと思うことも無かったし、お付き合いは6年も続くことになった。それは静かだったけれど、確かに僕は彼女のことを愛していたように思うし、こんな結果になってしまって本当に申し訳ないことをしてしまったと思っている。
同僚の方の第一印象は少し変わった人だなというものだった。でも、話し方や声、落ち着いた雰囲気から段々と気になるようになり、目で追うようになってしまった。目で追うようになってからすぐにアプローチしたわけではなくて、今数えてみると7,8か月後だったのだけど、その時にはもう自分を抑えることができないところまできてしまっていた。そしてあの飲み会。今思えばこんな風になるものも時間の問題だったのだとは思うけど、飲み会は危ないなって今になってすごく思う。
そして僕はその同僚の方を人生で一番、こんな風に自分も人を好きになれるんだと思うくらいに好きになってしまった。恋愛映画や恋愛小説の意味が初めて分かったような気がしたし、この世界に対する見方さえも変わってしまったと感じるような恋だった。僕は信じられないくらいにその方のことを好きになってしまい、相手の方も似たようなことを感じてくれていたみたいで、だからこそ、お互いに惹かれ合った。僕は彼女に愛とは何かということを教えてもらったと思っている。
でも彼女には長く付き合った彼氏がいた。彼女と彼氏は一時は別れたとのことだったけど、結局は元に戻り、僕は振られた。数か月の恋だった。振られたのは僕が未熟で、彼女を上手くケアしてあげられなかったことが大きく、そのことについては僕自身ものすごく反省し、今の自分の糧にしているのだけど、僕はものすごくひきづった。丸々2年ひきづった。本当に本当に好きだった。自分にこんな感情があるのだと、初めて知る自分をたくさん知った恋だった。
振られて本当にショックを受けたのだけど、一方で振られてほっとした自分もいたように思う。彼女とやり取りをする中で、自分が上手く相手をケアすることができないのではと思うことがあったから。簡単に言えば、自分には手に負えないかもしれないと不安だった。
 
当時の感情にフォーカスするとこんな風になる。
 
感情自体も事実なので、それ自体に対する評価とかは無いのだけど、「それではこれからどうするの?」ということが問題になる。簡単に言えば、「運命の人を待ち続けるの?」問題。
長く付き合った彼女とはものすごく好きだという場所からスタートしたわけではなかった。だからこそ、そんな人が現れた時に僕は抗うことができなくなってしまった。別れ話の時、謝りながら「結婚前で良かった」、とかそんなことを言ってしまった。
そうであるなら、運命の人を待たなくちゃいけないのか? でもそんな人が30歳の僕の前にまた現れてくれる保証なんてどこにもない。結婚はしたいと思っているし、子供も欲しい。だったらマッチングアプリとかで会った人とお付き合いをカジュアルにしてみたら良いのでは? いやでも、前回そんな風にして迷惑をかけて失敗してしまったのだし、年齢も年齢だから、次付き合う時は結婚を前提に付き合いたい。そんなことを考えているともう袋小路の何物でもない。そもそも人をまた好きになれるだろうかという問題もある。
 
めちゃくちゃ好きな人にまた会えるのか、そこが問題なのだけど、そんな人と会えたとしてお付き合いできるかわからないし、結婚までたどり着くかもわからない。それにめちゃくちゃ好きだけど、そんな気持ちを経験する中で自分には手に負えない感覚も味わった。そうであるなら、マッチングアプリとかでまずは条件から入り、ゆっくりと愛を育てていく方向性もありなのかな。でもそうなった時に、その後めちゃくちゃ好きな人に会ってしまったらということが怖い。また同じ失敗をしてしまうのではないかと。考えながら書いたら整理がつくかななんて思ったけど、やっぱわかんないわ。
 
でもどうなんだろう、順位付けするとこんな感じ。
1番:まためちゃくちゃ好きな人と出会い、その人とお付き合いをして結婚する。
2番:条件から入って、愛を育んで結婚する。(条件からめちゃくちゃ好きになるかもしれない。)
3番:めちゃくちゃ好きな人と出会ったけれど、振られる。
4番:何もしない。
 
こう考えてくると、そりゃ1番はそうなるよな。確かなことは何とも言えないけれど、少なくとも言えるのは、アプリ含め、友達の紹介や趣味、イベントには積極的に出たりして、出会いの範囲を広げることと、自分磨きみたいなことはちゃんとやっていかなくちゃいけないっていうことなのかな。
後は2番、最初はそんな気持ちでもその気持ちが大きくなる可能性もある。その可能性を感じるのであれば、お付き合いをお願いすることもありなのかな。その際には、価値観のすり合わせや対話をしっかりとしていかなくちゃいけないと思うけど。
 
ちゃんと考えてみたら何かわかるかなって思ったけど、あんまりわかんなかったかなぁ。でも、前向きに一つずつの出会いに感謝しながら人に興味を持つことをやっていきたいな。きっと何か見えてくる。